今年のその他の大イベント

  • モンテカルロ・バレエ団
    2024年10月
  • モンテカルロ国際サーカスフェスティバル
    2025年1月
  • WRC Rallye Monte-Carlo
    2025年1月
  • ラリー・モンテカルロ・ヒストリック
    2025年1月
  • モンテカルロ春の芸術祭
    2025年3月
  • ロレックス・モンテカルロ・マスターズ
    2025年4月
  • モナコ Eプリ
    2025年5月
  • トップマーク・モナコ
    2025年5月
  • モナコF1グランプリ
    2025年5月
  • モンテカルロ国際障害馬術大会
    2025年7月

ロレックス・モンテカルロ・マスターズ

2025年4月5日から13日まで、モナコのモンテカルロ・カントリー・クラブでロレックス・モンテカルロ・マスターズ(ATPツアー)が開催されます。世界で最も歴史と権威のあるクレーコートのテニストーナメントのひとつです。

ステファノスの連勝なるか

 Lギリシャ出身のステファノス・チチパスは、本大会で圧巻のパフォーマンスを披露しており、ここ4年間のロレックス・モンテカルロ・マスターズで3回(2021年、2022年、2024年)優勝しています。あのノバク・ジョコビッチでさえ、モナコでは2回しか優勝していません。

 

しかし、モナコのクレーコートで新たな帝王となるには、ラファエル・ナダルの伝説的な記録を破らなくてはなりません。
ラファエル・ナダルはシングルスで11回優勝、ダブルスで1回優勝しています。この記録を超えるのは並大抵のことではないでしょう。

本大会の優勝者のリストは Rolex Monte-Carlo Mastersのウェブサイトでご覧ください。

 

誉高いテニストーナメント

モナコ公国初のテニスクラブであるローン・テニス・ド・モンテカルロが創立されたのは1893年4月2日のことです。テニスコートはオテル・ド・パリの地下蔵の上に設立されました。
1897年には、モンテカルロ・テニス選手権という名称で、モナコでは史上初のテニストーナメントが開催されました。第一回目からトーナメントは男女ともにシングルスとダブルスの2つのカテゴリーで行われました。トーナメント開始から最初の数年間は、ウィンブルドンでも活躍した2人のイギリス人選手、ドハティ兄弟が素晴らしい成績を残していました。

1905年まで、トーナメントはオテル・ド・パリの後ろにある会場で行われていましたが、1906年にラ・コンダミンヌ地区に移動し、テニスコートの数も増え、アーチェリーやクロケットのための会場も追加されました。この年は、男子選手18名がエントリーされ、男子選手の試合数が初めて16を超えました。

1914年がスザンヌ・ランランが初参加した記念すべき年となりました。「ラ・ディヴィンヌ(女神)」とも呼ばれたこのフランス人女性選手は、1919年から1926年にかけてモナコのクレーコートで圧倒的な強さを見せていました。

1914年がスザンヌ・ランランが初参加した記念すべき年となりました。「ラ・ディヴィンヌ(女神)」とも呼ばれたこのフランス人女性選手は、1919年から1926年にかけてモナコのクレーコートで圧倒的な強さを見せていました。
1920年代初頭、大会会場は当時ボーソレイユ地区にあった大きなガレージ、オート・リベラの屋上に移転。大会会場の移転はこれが最後となりました。

モンテカルロのテニス・トーナメントが大躍進するきっかけとなったのはタバコで財を成したアメリカ人実業家ジョージ・バトラーの登場でした。大のテニス好きだったバトラーは、モナコのイメージを反映するような大規模なテニスクラブをサン・ロマン地区に建設するようソシエテ・デ・バン・ド・メールに働きかけました。

モンテカルロのテニスクラブの落成式は1928年2月、モナコ公国太公ルイ2世によって、華々しく開催されました。落成式にはテニス愛好家であるスウェーデン国王グスタフ5世、コノート公爵、ギリシャのニコラ王子、ロシアのエレーヌ大公妃やアンドレ大公など多くの王族が出席しました。この新しいテニスクラブには地下にジムとプロ仕様の更衣室が設けられ、コートも当初より3面増えました。、モンテカルロのテニスクラブの設備は、プロのテニス選手はもともりアマチュアのテニス愛好家たちのためにも毎年改良されています。そう昔でもない時代には、大会中は、テニスクラブのアマチュアの会員たちの更衣室が、プロの選手たちの更衣室として使われていました。

このテニス・クラブが「ル・モンテカルロ・カントリー・クラブ」と改名されたのは落成式から10ヶ月後のことでした。

2006年にはモンテカルロ・カントリークラブがスイスの有名な時計ブランドと提携し、このトーナメントは「ロレックス・モンテカルロ・マスターズ」と改名されました。

オープン・トーナメント時代の到来

1969年にオープン・トーナメント式の時代が到来すると、プロ選手も参加するようになり、モンテカルロのテニストーナメントは最も権威ある大会のひとつとなりました。現在では、マスターズ1000の大会として選ばれています。他のマスターズ1000とは異なり、世界のトップ30の選手に参加する義務はありませんが、ほとんどの選手がロレックス・モンテカルロ・マスターズに参加しています。
女子トーナメントは1960年代と1970年代に開催されました。最後に女子選手が参加したのは1982年のことです。

ロレックス・モンテカルロ・テニス・マスターズは、ヨーロッパのテニスシーズンの開幕を切る大会です。56人のテニス選手たちがクレーコートに一堂に会し、6回戦からなる勝ち抜き方式で行われます。
試合は2セット制で、各セットにタイブレークがあります。
ダブルス・トーナメントには24チーム、48人が参加し、5回戦の勝ち抜き方式で行われます。このうち、ランキング上位8チームがシードされ、1回戦が免除されます。

 

写真クレジット: © S.M.E.T.T. / Rolex Monte-Carlo Masters / Benjamin Vergély / © MONTE-CARLO Société des Bains de Mer / Fairmont Monte Carlo / lifevents group